「カノンムジーク🎵 ヨーロッパ研修旅行紀2025 12」

   ~ Wien 編 (2) ~

シュテファン寺院からケルントナー通りを抜けて国立オペラ座、ホフブルクとモーツァルト像を見てシュタットパルクのシュトラウス像で記念写真を撮ったら、ほぼリンク内の観光は終了。ということで少し距離がありますが、やはり音楽家の卵たちが訪れるべき聖地『ウィーン中央墓地』へ。

リンクから71番のトラムに乗って約30分。右手に広大な墓地が見えてきます。トラムを降りる停留所は「Wien Zentralfriedhof 2.Tor」この2番の門で降りてメインストリートを行くと両側がレンガ作りの立派な霊廟になっていて、ここには歴代の王や貴族たちが祀られているそうです。その続きで「MUSIKER」と書かれているコーナーを見つけることが出来ます。

ルードヴィッヒ・ヴァン・ベートーベン 1770年12月16日 ー 1827年3月26日 

フランツ・シューベルト 1797年1月31日 ー 1828年11月19日 ベートーベンを尊敬していたのでベートーベンの横に建てられています。(元々二人とも、ここから北西に11キロ離れたWähringer Schubertpark・ヴェーリング墓地に埋葬されていたのがこの「MUSIKER」地区に移転されたそうです。

私はリンク内にあるベートーベンが亡くなったときのアパート(もちろん、別の部屋です)に住んでいる友人アッカーマンさんの家を訪ねたことがありますが、一階の通路を歩きながらその友人が「ここをシューベルトがベートーベンの棺を担いで通ったんだよ」と教えてくれたのが今でも記憶に残っています。

ヨハン・シュトラウス 1世 1804年3月19日 ー 1849年9月25日  墓碑にVATER(父)と記されています。有名な2世から見て【父】」と表記されているのがツッコミどころです。

ヨハン・シュトラウス 2世 1825年10月25日 ー 1899年6月3日  第二の国歌と言われる「美しき青きドナウ」など多くのワルツやポルカ、オペレッタなどを作曲しています。

ヨハネス・ブラームス 1833年5月7日 ー 1897年4月3日  ドイツで生まれましたが1860年代からウィーンに住み交響曲を始め数々の作品をこの地で書き残しています。

モーツァルトの亡骸は共同墓地(聖マルクス墓地)に埋葬されたため、楽聖たちのお墓の中央には記念碑が建立されました。

この他にオペレッタ「軽騎兵」で有名なフランツ・フォン・スッペ、ポルカやワルツを作ったシュトラウスの友人ヨーゼフ・ランナー、優れた歌曲の作品を残したフーゴー・ヴォルフのお墓もあります。

まるで公園のような雰囲気なので観光と言うよりは散歩に来ているイメージです。子どもたちは音楽の教科書に載っているお墓の写真を見て今日のことを思い出すことでしょう。