~日本で一番ドイツさんに愛されたところ~
『世界のどこに、バンドーのようなラーゲル(捕虜収容所)があったでしょうか
世界のどこに、マツエ大佐のような、ラーゲル・コマンダーが居たでしょうか』
元 俘虜収容所俘虜 パウル・クライの言葉
その歴史は大正時代に遡ります。かつて鳴門市大麻町(当時の板野郡板東町)には、大正6年~大正9年(1917年~1920年)のおよそ3年間、第一次世界大戦時に日本軍の捕虜となったドイツ兵を収容した「板東俘虜収容所」が存在しました。
板東俘虜収容所では、所長である松江豊寿をはじめとしたスタッフがドイツ兵の人権を尊重し、自主的な生活を認めていました。職業軍人は1割にも満たなかったため、ドイツ兵たちは元々優れていた技術を活かして様々な活動に取り組み、地域の住民とも交流を深め、親しみを込めて「ドイツさん」と呼ばれるほど打ち解けていました。
そんな中で開かれたのが、第九の日本初演です。大正7(1918)年6月1日、軍楽隊長のH・ハンゼンの指揮で演奏会が行われました。本来の楽器が揃わなかったため別の楽器に、女性がいなかったため男声合唱に書き換えて演奏されましたが、これが日本初のベートーベン作曲/交響曲「第九・合唱付き」全曲演奏でした。その前にも第4楽章のみは2回、同じく収容所のドイツ兵によって演奏されたことがあったのですが、1時間を超える全楽章が日本に響いたのはこの日が初めてでした。
ドイツ側からの要望で開かれた「お別れ演芸会」の後に帰国した兵士たちは、帰国後もドイツ各地で「バンドー会」を開き、交流を絶やさず楽しんだといわれています。

徳島での演奏会のため舞子公園駅停留所から乗車した、高速バスのラッピング🎵