「閑谷学校」

播州備前の国境に近い小さな谷の奥に、閑谷学校が初めてつくられたのは1670年。

当時の備前藩主池田光政は、人づくり・国づくりの為には孔子の教え「儒学」に学ぶことが大切だと考えました。

岡山城下には武士の子どもたちを教える藩校がその前年に開かれていたので、閑谷学校は庶民の子どもたちを育てる場として築かれました。

今なお残っている閑谷学校の校舎は1701年に完成。300年以上の歴史をたたえた庶民教育の殿堂が昔のままの形で残され、今もなお国宝の講堂からは論語朗誦の声が響いています。

たつの出身の詩人・童謡作家の三木露風や、実業家で美術品の収集を展示した倉敷の大原美術館を創設した大原孫三郎ほか多くの文化人や実業家が巣立っています。

カノンムジーク音楽教室も今の生徒さんたちが30年後次世代の子たちに、60年後にさらにその次の世代の子たちに繋がる文化の歴史、音楽の持つ力、人の創造性、心の豊かさを育む殿堂でありたいと改めて感じています。

【子曰、古之学者為ㇾ己 今之学者為ㇾ人】・・・・古(いにしえ)の学者は己の為にし、今の学者は人のためにす。

***昔、一所懸命に学んだ人たちは、自分自身をよりよく磨こうとして努力されたものだよ。ところが、最近の学ぶ人たちを見ると、周囲から自分が高く評価されることばかり気にしているよね。  論語 憲問 第十四 (閑谷学校刊 あいうえ論語 より引用)