「6声のリチェルカーレ」

リチェルカーレ(ricercare)という言葉は、イタリア語で「探求する」「探し求める」を意味する動詞に由来していますが、初期のリチェルカーレは、リュートやヴィオラ・ダ・ガンバといった弦楽器奏者が、本格的な演奏に入る前に楽器のチューニングをしたり、指を慣らしたりするための即興的な前奏曲を指していて、楽器の響きや調性の可能性を「探る」との意味合いも含まれていると思われます。

時を経るにつれて、この「探求」の対象は音楽構造へと移行して、作曲家たちは、一つの主題(テーマ)がどのような対位法的な可能性を秘めているか、あるいは複数の声部がいかにして絡み合いながら調和を生み出すことができるかという、論理的な美の追求に重きを置くようになりました。したがって、リチェルカーレは感情的というよりも、知的で構築的な性格を強く帯びていて、後のフーガへと至る対位法音楽の重要な実験場としての役割を果たしたのです。

ヨハン・セバスティアン・バッハの晩年の傑作『音楽の捧げもの(Musifalisches Opfer)』。プロイセン王フリードリヒ2世から与えられた「王の主題」をもとに作曲されたこの曲集には、3声と6声の2つのリチェルカーレが含まれています。特に6声のリチェルカーレは、バッハの対位法技法の全てが注ぎ込まれた作品で、今日でも鍵盤音楽の最高峰の一つと言われています。(「王の主題」は二分音符でハ短調 どーみ♭ーそーら♭ー(ここまで上行形)(下がる)しーーー ではじまる短い主題)

バッハはこの曲集の各曲の頭文字を繋げる「RICERCAR」となるラテン語の献辞を残しています(Regis Iussu Cantio Et Reliqua Canonica Arte Resoluta=王の命による主題と、カノン様式で解決されたその他のもの)。与えられた主題の奥底に眠る秩序を「探求」し、解き明かすことでバッハの「リチェルカーレ」が確立したのでしょうか。

カノンムジーク大久保で、ウィーン国立音楽大学(通称)古楽器教授のインゴマー・ライナー先生にバッハ「6声のリチェルカーレ」の演奏をしていただいたときの写真です。