(ち‐5) 茶 木
「ちゃき」と読みます。関西のコントラバス関係の人とフォークソング関係の人によく知られた名前です。まず「コントラバス」ですが、かつて京都に「(株)チャ
キ弦楽器」というコントラバス制作を主体にした工房がありました。社長のお名前を茶木祐一郎氏と言い、良いメーカーでしたが近年惜しまれながら会社を閉じられまし
た。いま宇治市にある「ヒガシ絃楽器製作所(オリエンテ)」は、茶木氏の下で修業された方が立ち上げた工房であることはコントラバス関係者の間で有名な話で
す。次に「フォークソング」ですが、かつて京都に「ピンク・ピクルス」という女性フォークデュオがありました。同志社女子大同級生の茶木みやこさんと小林京子さん
が1971年に「一年限り」を約束に活動したデュオですが、深夜ラジオのヤンタンで歌った「僕にさわらせておくれ」がリスナーの間で大ヒットしました。また、東
京オリンピックのマラソンで銅メダルを獲得したのちに自殺した悲運のメダリスト円谷幸吉氏を歌った「一人の道」がデュオ解散後に全国的にヒットして、「再結
成」が常に望まれたデュオでした。なお茶木みやこさんは高校生の時に、町内会の文化祭に出演するために近所のギターの弾ける男子高校生を誘って出演したそうです
が、その馬場弘文という高校生は後に「いちご白書をもう一度」を大ヒットさせた「バンバン」だったそうです。・・・その町内会の文化祭、聴いてみたかったですね。