(え‐7) EXPO‘70
正式名称「日本万国博覧会」、通称 “大阪万博”。1970年3月15日から同年9月13日までの6か月間、大阪府吹田市の千里丘陵で開催された国際博覧会です。標語は「人類の進歩と調和」で、岡本太郎制作 “太陽の塔” を始め アメリカ館の “月の石” や サンヨー(三洋電機)館の “人間洗濯機” などユニークな企画・展示が目白押しでした。またテーマソングは「世界の国からこんにちは」作詞 島田陽子・作曲 中村八大・歌 三波春夫(他)で、1967年の3月から各メディアで流されて万博の機運を盛り上げました。日本中が“万博ムード”にあふれていたのです。
私は高校2年の春に学校の「校外学習」で行きました。“自由行動”の会場では、中学時代からのフォークバンド「なかよし・おのころ・たこやき・バンド(ゼファーズ)」のメンバーでパビリオンを見て回りました。太陽の塔に入るための列に並んでいて見上げると、“アイジャック男” が足をブラブラさせているのが見えたので「オーイ、頑張れよ~!」と声をかけると手を振ってくれました。するとそのすぐあとに、素っ裸の男が手を “パンパンパン!” と叩きながら物陰から飛び出して来たのです。女の人が「キャ~!」と悲鳴をあげると、すぐに警備員たちがその男を捕まえて毛布で包みました。それを見た私は “ずいぶん用意がいいな” と思いました。たぶん常習犯だったのでしょう。さすが “大阪万博”、ユニークな事件が次々と起きて “ワクワク・ズキズキ” です。なお、今回この文章を書くためにアイジャック事件のことを調べたら 男が太陽の塔の目にいた期間は4月26日から5月3日までの8日間だけで、私たちはその貴重な瞬間に遭遇できたことになります。
さて、私たちはアメリカ館など人気のあるパビリオンは何時間も並ぶので避けて 地味な(失礼!)キューバ館でチェ・ゲバラの写真展示などを見たあと、毎日放送の展示ブースで「ヤンタンバッグ」などを買いました。しかし今回この文章を書くために調べても、毎日放送の展示ブースが万博会場にあったことは 不思議なことにどこにも載っていないのです。あれは夢だったのでしょうか?(でもバッグはその後も使っていましたが・・・)。この件について、どなたかご存知の方は教えて下さいね。
以上、大阪湾の夢洲でこの4月から開催される予定の「大阪・関西万博」が いまだ盛り上がりに欠けるなか、半世紀以上前に入場者数64,218,770人を記録して大成功を収めた「大阪万博」の、入場者の一人としての想い出でした。