(き‐7) 喜連瓜破
「きれ うりわり」と読みます。大阪市平野区にある 地下鉄 Osaka Metro 谷町線の駅名で、“難読駅名”の一つです。この複雑な名前の由来は、線路が喜連地区と瓜破地区の境界道路の地下を通っていて、1980(昭和55)年に駅を作る時に両地区からそれぞれ自分の地区名を駅名にするよう要望があったので、大阪市交通局が紛争が起きないように両地区名を並べて駅名にしたからだそうです。
同じ谷町線に「野江内代(のえ うちんだい)」という駅もあります。同じく難読駅名の一つです。城東区の野江地区と都島区の内代地区の境界にあり、1977(昭和52)年に駅を作る時にやはり両地区から自分の地区名を駅名にするようにとの要望があって交通局が両地区名を並べて駅名にしたからです。
このように、駅ができる時に自分たちの地区名を駅名にしてほしいという要望や陳情は全国各地にあり、重なった場合 紛争を避けるために“並記型”にすることが多いようです。身近な例としては、やはり Osaka Metro の御堂筋線「西中島南方(にしなかじま みなみがた)」や 阪急宝塚線の「雲雀丘花屋敷(ひばりがおか はなやしき)」などが有名です。しかし、このような「合成地名駅」はどうしても“長読駅名”になりがちで、それ故に鉄道雑誌などに採り上げられるなどの皮肉な現象も起きています。
ただ冒頭の二駅に関しては、また違った意味でも面白がられています。それは、「喜連の“ん”はどこに行ったの?」「はい、電車に乗って野江内代に行きました」・・・という笑い話です。