(た‐6) 武田尾温泉 と 廃線跡ハイキング
武田尾温泉は武庫川の渓谷にひっそりと数軒の宿が寄り合うとても鄙びた温泉郷で、「関西の奥座敷」とも呼ばれています。歴史も比較的古く、寛永18年(1641年)に豊臣方の落ち武者である武田尾直蔵が薪拾いの際に発見した湯と伝えられ、地名もそこから来ていると言われています。宿の創業も明治時代が二軒、大正時代が一軒あるのも歴史を感じさせ、水上勉の小説「櫻守」や山崎豊子の「晴着」の舞台にもなっています。
ただ、「奥座敷」とか「鄙びた」とか呼ばれる割には交通の便が良くて、最寄駅のJR福知山線「武田尾」は「宝塚」から3駅目、わずか8分のところにあります。大阪駅からでも40分弱で着きます。武庫川のせせらぎを聞きながら温泉に浸かり昼食を楽しむ「日帰り入浴」は最高です。そのなかでも私がお奨めするのは、温泉とハイキングとをセットにすることです。
JR福知山線は今の新しい線路に付け替えられるまでは武庫川の渓谷に沿って曲がりくねって敷かれていました。それをスピードアップと利便性向上のために「複線・電化」し、また住宅地開発の進む西宮名塩に新駅も作り1986年に新しい路線を開業したのです。そして使われなくなった旧線はレールだけ剥がして、そのまま「放置」したのです。
ところがその後、あるハイキング好きの人たちがこっそり歩いてみると、渓谷沿いにトンネルや鉄橋がそのまま残されている「スリル満点のハイキングコース」だったのです。その噂が少しづつ伝わって歩く人が増え、距離が約8km・歩行が約2時間で、景色が良く平坦な歩きやすい「子供からお年寄りまで歩ける最高のハイキングコース」ということが広がっていったのです。
JR側もこの状況にあまり目くじらを立てませんでした。線路跡の入り口に「危険に付き進入禁止(何かあっても自己責任で)」という趣旨の看板を立ててハイカーの進入を黙認するのみならず、鉄橋などの危険個所を補修して歩きやすくするなど「粋な対応」をしてくれたのです。今ではトイレのある休憩所も設置されていて、天気の良い日などはお弁当を楽しむグループや家族連れで賑わっているほどです。皆さんも一度歩いてみてはいかがですか。面白いですよ。
私は といえば、話が少し長くなりますが実は昔ある高校で担任をしていた時に春の遠足でクラスの生徒41人と歩いたことがありました。「宝塚」から1駅目の「生瀬(なまぜ)」駅前から歩き始めて、例の看板を横目に線路跡に入り、武庫川の渓谷(峡谷と言ってもいい風景)沿いに歩いて鉄橋を渡り、真っ暗なトンネルを何度もくぐり抜けて武田尾の駅前に着きました。歩いているあいだ生徒たちは、川の中の「巨岩・奇岩」が大雨の時に上流から流されて来たと知っては驚き、懐中電灯を消して真っ暗になったトンネルの中で語った「常紋トンネル」の話に悲鳴をあげたりと、テンションが上がりっぱなしでした。
更にそこから吊り橋を渡って温泉郷まで行き、予約していた ㋖マルキ旅館に着きました。「歓迎 ○○高校二年一組 御一行様」と大書された玄関から上がり、貸切りの大広間に通して戴きました。すると、部屋に入った生徒たちから「すごい!」という声が起こりました。大広間には人数分の箱膳(銘々膳)がズラリと並んでいたのです。昼定食を生徒一人ひとりに箱膳で出して下さったのです。更には、メニューに入っていない鶏の唐揚げまで付けてもらって、生徒たちは「日帰り入浴」を堪能したのです。もっとも、入浴したのは男子だけで、女子は当時出たての携帯電話の「アドレス交換」をして盛り上がっていましたが・・・。
帰りがけ、いろいろな配慮に対する感謝の気持ちを女将さんに伝えると「この子たちが大人になって、家族でまた来て下さることをお待ちしています」とのことでした。その後、実際に再訪問した者はいたのでしょうか。しかし残念なことに ㋖マルキ旅館は近年になって閉館されて、趣きのある建物も無くなってしまいました。あの有名な「岩窟風呂」に、もう一度入りたかったのですが・・・。
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