(と‐7) 峠越え
“♪~雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂” ・・・熊本県の史跡「吉次峠」に伝わる民謡で、“西南戦争の唄” としても歌われています。
昔の旅人にとって峠は難所でした。行倒れてしまう人も多く、慰霊碑のある峠も全国には多いようです。また “行倒れ” までいかなくても、急に歩けなくなって道にへたり込んでしまう人も多かったそうです。“餓鬼が憑いた” などと言われて、何か食べ物を口にすると治ったそうです。まあ、今の医学では「低血糖に陥ったので 食べることで血糖値が戻った」ということでしょう。真夏には、水分摂取不足のために “熱中症” で倒れた人もいたのではないでしょうか。なので、峠の麓には必ず茶店がありました。旅人は峠越えをする前に、お茶と団子や餅で水分と糖分を補給したのです。
そしてそのような実績のあった茶店は、明治になって鉄道が通ると駅で物品を販売する権利を交付されました。有名な「峠の力餅」は、そんな茶店だった “最上屋” が 明治32年に奥羽本線の福島・米沢間が開通した2年後に、その名も「峠」という駅で販売を始めた大福餅です。「ちからもち~、ちからもち~」という売り子の声が静かな山の駅に響き渡り、乗客は こし餡の入った美味しい餅を挙って買い求めたそうです。山形新幹線になった今でも、たった30秒の停車時間にも関らず よく売れているそうです。
また、信越本線最大の難所であった碓氷峠の麓に位置する「横川駅」にも有名な「峠の釜めし」や 素朴な「峠のおむすび」があります。これは同じく 元は峠の茶店だった“荻野屋” という調製元が作る駅弁です。列車がホームに着くたびに、機関車を増接する(又は切り離す)ための5分間という長い停車時間にも関らず 乗客が我勝ちに走って買いに来て飛ぶ様に売れたそうです。そして信越本線が途切れてしまった今では、新幹線の車内や全国主要駅の駅弁コーナー、高速道路のサービスエリアや荻野屋の経営するそば店などでも販売されているそうです。
私は上記 “力餅” も “釜めし” もまだ食べたことがないので いつか “駅弁の旅” に出て、峠越えに難渋した昔の人を偲んで 食べてみたいと思っています。