(に‐7) ニッセン
通販のカタログ雑誌ではありません。人の名前です。ゲオルク・ニコラウス・ニッセン(1762‐1826) 外交官。デンマークで生まれて、オーストリアのザルツブルクで没しました。・・・何をした人でしょうか?。実は、あのモーツァルトが35歳で亡くなったあと、未亡人のコンスタンツェが再婚した人です。
コンスタンツェは “浪費家” とか “天下の悪妻” などと言われ、度重なる遊興や温泉通いなどで多額の借金を作った上、息子二人の内の一人は モーツァルトの弟子との間に生まれた子供ではないか、などと噂されてもいます。若くして亡くなったモーツァルトの死については謎の部分が多いのですが、死因の一つとして借金返済のためにお金になる依頼者からの曲を不眠不休で書くために、今で言う “覚醒剤” のような薬を飲み続けたからではないか、という説もあります。
モーツァルトの死後、二人の子供を抱えて生活苦に陥ったコンスタンツェはモーツァルトの書き貯めた楽譜を “二束三文” で売り飛ばそうとします。それを知ったニッセンがコンスタンツェに、モーツァルトが偉大な作曲家だったことや 楽譜は宝のようなものだから出版会社を通じて整理・保管し、演奏させる場合には使用料を受け取る権利があること等を説きました。そしてその助言を実行したコンスタンツェは借金苦から立ち直り、やがて二人は結婚したのです。
コンスタンツェと結婚したニッセンは、モーツァルトの生涯についての伝記を執筆し始めます。存命中のモーツァルトの様子について詳しく聞き取ったり、膨大な手紙や手記・資料や証言などを集めて年代別に整理して書き始めたのです。そして残念なことに、もう少しで完成という時にニッセンは亡くなるのですが 跡を引き継いだ医師が彼の遺したメモや資料を基にして完成させて世に出したのです。
モーツァルトに関しては数多くの伝記や評論・推論等が残されており、それを基に「アマデウス」などの文学作品が書かれたり “モーツァルト他殺説” などの憶測が飛び交ったりして、“ライバル・サリエリとの確執” など 興味本位に採り上げられることがほとんどですが、このニッセンの遺した伝記は客観性に富み信憑性が強く、後世の研究家たちから高く評価されて 現在もモーツァルト研究の第一級資料として使われ続けているそうです。
以上のことを踏まえると、いま私たちがモーツァルトを聴いたり演奏したりできる喜びを得られるのは、このニッセンのおかげではないかとつくづく思うのです。