雄さんの昭和ひとりごと (はー6)

(は‐6) 阪急、阪神に殴り込み!

 前回の(の‐6)で、阪急の「阪神国道駅」について書かせていただきました。国道二号線(阪神国道)と交差する高架部分に駅を作ったのでこの駅名になった、という話でしたね。実はもう一つ面白い話があるのです。

 西宮市の今津には「今津駅」が二つあります。東西に走る阪神本線の今津駅と南北に走る阪急今津線の今津駅とがあって、それらの駅は「T字」の形で位置しているのです。どちらも高架駅になっていて、互いに連絡通路でつながっています。しかし昔はどちらの駅も地平にありました。北から南に走ってきた阪急は、駅の手前で90度東(左)に向きを変えた所にホームがありましたが、それは阪神の今津駅ホームに隣接していました。私は二十歳のころ西宮に下宿していたので時々この駅を利用しましたが、ひとつのホームを阪急側と阪神側に長い金網の柵で仕切ってあるだけだったと記憶しています。そしてもっと前には軍の命令で、線路も繋がっていたそうです。

事件は、戦後の1949(昭和24)年12月に起きました。高架駅の「阪神国道駅」を発車した阪急今津線の電車が地平駅の「今津駅」に向かって急坂を降下していたところ、ブレーキが効かなくなり猛スピードで今津駅に向かって突っ込んだそうです。そして90度の急カーブを脱線せずに曲がってホーム端の車止めを突き破り、そのまま阪神の線路に入って突っ走り、隣の久寿川駅のホームを削り取ってようやく止まったそうです。

新聞はこの事件に「阪急、阪神に殴り込み」とタイトルを付けて面白おかしく報道して、仲の悪い両社を揶揄したのです。今でこそ阪急と阪神は経営統合されて「阪急阪神ホールディングス」という同じ会社になりましたが、昔は「犬猿の仲」だったのでしょう。事件後、繋がっていた線路はすぐに切り離されたそうです。

しかし私は思うのです。現在一つの会社になったのならば、今津駅を一つの駅として扱ってはいかがかと。連絡通路の「改札口」を廃止して客が自由に両線を行き来できれば、ずいぶん便利になると思います。阪急沿線から大阪ミナミの難波まで一枚のキップで行ければ(表現が古い)、こんなに手軽なことはないですからね。ホールディングスさん、ちょっと考えて頂けませんでしょうか?。