(め‐5)名物指揮者
大指揮者とか名指揮者と呼ばれる方は多いけど、その中で「名物指揮者」と言われる人はこの方以外にはいないと思います。故・山田一雄先生。ニックネームは「ヤマカズさん」。モーツァルトのアイネ・クライネ・ナハト・ムジークを「アイクラ」と呼ぶのと同じ略し方ですね。1991年(平成3年)に78歳で亡くなられましたが、その指揮ぶりには多くの伝説が残されています。跳び上がりながら棒を振った時に客席側に転落して、指揮をしながら這い上がって来た話は有名です。1972年から京都市交響楽団の指揮者に就任され、同時に私達の大学オケの秋の定演を振って下さるようになりました。私の記憶に残るのは、チャイコフスキーの「悲愴」の練習時に銅鑼担当の学生に「もっと揺らして!」とおっしゃって、その学生が銅鑼を手で揺らした時にニコニコ笑って「そうじゃなくて、音を揺らして欲しいんだけどねえ・・・」と言って全員を爆笑させたことです。またそのときの「打ち上げ」に二次会まで付き合って下さり、いろいろと音楽の話を聞かせて下さいました。帰りがけには同じ方向の学生をタクシーに同乗させて下さり、車中でも音楽の話を熱く語られたそうです。本番の指揮中に、熱が入ると「エッエッ」とか「ウッウッ」などの大きな声が出るので口の悪い京響のメンバーからは「ジャマカズさん」などと呼ばれていました。でも力があるのに威張ることのない、真に尊敬すべき先生でした。