雄さんの昭和ひとりごと (ゆ-8)

(ゆ‐8) 熊 野

 「くまの」と読むのが普通ですが、「ゆや」と読む場合もあります。それは、世阿弥の代表作と言われる 平家物語を典拠とした演目「熊野ゆや」です。主人公の“熊野ゆや御前ごぜん” は出身が遠江国(今の静岡県)の実在した女性の名前で、故郷の病身の母と、都で仕える平宗盛との間で葛藤する心を 能や謡曲で表現しています。なぜ「熊野」と書いて “ゆや” と読むのかは判りません。ただ「喜多流」という流派では演目名を「湯谷」と書くそうです。何か関係があるのでしょうか?。

 もうひとつ “熊野ゆや” があります。堺市立熊野ゆや小学校。1872年創立の歴史ある学校です。校区の「熊野くまの町」は元々は「湯屋ゆや町」でした。町内に湯屋(風呂屋)が多くあった、とか、神社で貧しい人々に塩風呂(塩サウナ?)を炊き出しした、とか、語源は諸説あります。それが熊野くまのに変わったのは、町内に「熊野神社」があったからと言われています。熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)の信仰には “蟻の熊野詣” と言われるほど多くの参詣者が全国から集まりました。そして、熊野まで行けない人のために 全国に「熊野神社」が作られました。堺の熊野町にあった神社も、そのひとつだと言われています。元々「湯屋ゆや町」だった町名が「熊野くまの町」に変わったにもかかわらず、なぜ 校名だけに「ゆや」の “読み” を当てたのかは判りません・・・。ひょっとして、校名を定める委員の中に 能や謡曲ファンの人がいたのかも知れませんね。

 余談ですが、私が学んだ大学のすぐ近くにも熊野神社がありました。場所は東山通りと丸太町通りの交差点の北西角です。この交差点名は 本来なら “東山丸太町” ですが「熊野神社前」という表示プレートがあがっています。バス停名も同じです。やはり“熊野神社” のネームバリューのなせるわざでしょうか。調べてみると 京都市内には「京都三熊野」といって、上記「熊野三山」を都の人々が参拝できるようにと勧請して建てられた3つの神社があるそうです。

一つ目は「いま熊野くまの神社」で、場所は東山区いま熊野くまのです。熊野本宮大社に対応しているそうです。二つ目は「熊野にゃく王子おうじ神社」で、場所は左京区若王子です。あの “哲学の道” の南端にある寺院ですね。熊野那智大社に対応。そして三つ目が「京都熊野神社」で、場所は左京区聖護院山王町熊野神社前です。私の大学の最寄りの神社ですね。実は「京都三熊野」の中で一番古い神社だそうで、そんな歴史深い神社にも関らず 私は在学四年間で一度しかお詣りしたことがありません。・・・罰当りな学生でした。

さて、話が「ゆや」かられてしまいました。しかし、文献によると「熊野地方」が一時期 “ゆや” と呼ばれていたことがあるらしいので、あながち “大脱線” でもないと思います。