雄さんの昭和ひとりごと (ら-6)

(ら‐6) ランプ小屋

 「ランプ小屋」って、どんな小屋でしょうか?。前回 山の歌を3曲紹介したので、今回もアメリカ民謡「谷間のともしび( When it’s Lamp Lighting Time in the Valley )」のような、ランプの灯る小さな山小屋を想像したのではないでしょうか。違うのですよ。今回は鉄道の話です。

明治5年に新橋・横浜間に鉄道が開通してから一昨年の10月で150年が経ちました。この間の鉄道の進歩・発展は目覚ましく、いま私達はとても快適に旅行ができます。空調は効いているし、新幹線は速いし、主要駅にはいろんな種類の弁当やお酒・お菓子や土産物などが販売されています。また家族連れや鉄道ファンを対象にした「SL列車」や、名物料理や銘酒を車内で味わえる「グルメ列車」なども各地で運行されていて、鉄道で旅をすることが目的の一つにもなっているのです。

しかし明治初期の鉄道旅行は過酷でした。鉄道史の本を読むと、タイトルに「死に物狂いの汽車の旅」とあって、ご婦人方が途中の駅で下りてしまい「もう乗るのは嫌だ」と言って車掌を困らせた話が載っています。汽車の速度は遅く、目的地まで時間がかかるのに当時まだ駅弁やお茶など飲食物の販売はありませんでした。また、トンネルに入ると窓を閉めていても煤煙が客席まで流れ込んできて目が痛く息をするのにも難渋した、とか、雨が降ってきたので窓を閉めると客室内が蒸し暑くタバコの煙が充満して苦しかった、など苦難の数には限りがありませんでした。汽車を下りたら顔がススで真っ黒だった、という話は有名ですよね。

しかし最も難儀だったのは 夜の客室内の暗さでした。灯りは天井のランプが頼りでした。夕方に停車した主要駅の駅員が客車の屋根に上り、作業窓という穴から灯油ランプを吊り下げるのです(穴は雨や風が入らぬよう蓋をしました)。この心許ないランプの灯りが当時の客室照明のすべてだったのです。おそらく本も読めなかったことでしょう。みんな目をつぶって、早く降りる駅に着くように祈っていたのではないでしょうか。

 ・・・このランプや燃料の灯油を保管した建物が「ランプ小屋」なのです。火気厳禁なので小屋は駅舎から少し離れた所に頑丈な煉瓦造りで建てられました。現在、保存されているランプ小屋は全国で約二十駅ですが、そのうち関西では京都府にある加茂駅と稲荷駅の二駅だけが残っています。なかでもJR奈良線の稲荷駅にあるランプ小屋は1879(明治12)年に造られた「現存する日本最古のランプ小屋」と言われる歴史的建造物です。

東海道本線の京都・山科間は1921(大正10)年の東山トンネルの開通によって現在の直線ルートになるまで今のJR奈良線が東海道本線の一部でした。京都から南下して稲荷駅を通り、伏見あたりから東北に向きを変えて現在の名神高速道路を通って山科盆地に入っていたのです。なので、今の稲荷駅は奈良線の小さな駅の一つですが当時は重要な駅だったのですね。今もホームから「ランプ小屋」を見ることができますよ。