(わ・を・ん‐6) 和音さんと 主音くん
昔、池田市にあった府立高校で音楽の教諭をしていた時の話です。一年生のあるクラスに下の名前が「和音」という女子がいました。当時はまだ名簿に振り仮名が付いていなかったので、四月最初の授業で読み方の判らない生徒には いちいち確認する必要がありました。「かずねさん?」と聞くと「はい、そうです」と返事が返って来ました。授業の後で「お家は音楽関係のお仕事?」と聞くと、にっこり笑って「いえ、両親とも音楽が好きで合唱団に入っています」とのことでした。そして「2歳下の弟は“主音”と書きますが、先生 何て読むか判ります?」と問題を出してきたのです。そこで「とにか君?」と答えると「正解です。さすが!」と褒めてくれました。小学校でも中学校でも、読めた先生はいなかったそうです。今の“キラキラネーム”の先駆けですね。その「主音くん」も二年後に入学してきて、音楽の授業を選択してくれました。
その高校は音楽系の部活動が盛んで、エレキ楽器中心の軽音部の他に コーラス部・吹奏楽部・弦楽部があり“学校音楽会”など催し物の際には臨時に結成したオーケストラの伴奏でコーラス部が歌う といった企画がありました。
また、カリキュラムに「音楽コース」があって“コースの生徒は特別推薦で大阪音大に有利に入学できる”が売りでした。卒業生にはプロオケのチューバ奏者や音響・映像関係の会社社長、大手楽器店の主任や音楽大学の打楽器講師など 音楽関係の仕事に就いている人が大勢います。しかし、学校が通学不便な場所にあったためか 一般生徒の入学者が少なくて“定員割れ”が続き、残念ながら廃校になってしまいました…。