雄さんの昭和ひとりごと -た_3-

(た-3)竹田の子守唄

 作者不詳、歌・赤い鳥・他。叙情的な歌詞と美しいメロディーなので、多くの歌手やグループがステージで歌ったりレコーディングした。そしてそういう折には、この曲が九州大分の竹田市発祥の民謡であると紹介されることが度々あった。今でもそう信じている人がいる。しかし、本当は京都市伏見区の竹田地区で採譜された民謡であり労働歌であった。そして、その中には秘められた苦しい歴史がある。歌集に載っている歌詞は、当たり障りのない部分だけが掲載されているのだ。この状況を何とかしようと多くの人々が行動を起こし、一時は「放送禁止歌」に指定されたこの歌を、頑張って本来の曲の姿で歌い始めている。そして少しづつ、放送でも流れ始めている。その行動の口火を切ったのが「赤い鳥」である。赤い鳥はその後「紙ふうせん」と「ハイファイセット」に別れたが、どちらもこの歌を大切に歌っている。なお、この歌の歴史を表現する有名な言葉として「21世紀に入ってから、ドアが少しづつ開きかけている」がある。