5月17日の第7回みかげサロンコンサートは林泉さんのバイオリンと俊武さんのコントラバスでお届けします。
ご案内した1週間の間に予約で満席になり、アナウンスが出来ませんでしたが、追加公演も企画していますので、次のチャンスをどうかお待ちくださいm(__)m

泉さんは、オーケストラのコンサートミストレスや音大での指導、コンクールの審査員としても活躍されている優しくて魅力的なバイオリニストです。
コントラバスの俊武さんは大阪フィルハーモニー管弦楽団で長年活躍され、音大で教えておられるコントラバス界のお父さんです。そしてウィーンでコントラバスの神様ルードビッヒ・シュトライヒャー先生に直接学ぶ事の出来た初代の留学生の一人でもあります。
今日はシュトライヒャー先生のご紹介をしたいと思います。
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1920年ウィーンに生まれ音大を卒業後ウィーンフィルハーモニー管弦楽団で首席コントラバス奏者として活躍の後、ソリストとして名を残し2003年3月11日に亡くなった偉大な音楽家ルードビッヒ・シュトライヒャー先生。
生涯最後の日まで音楽愛によって彩られていた先生の人生には、華やかなステージのスポットライトを浴びる反面、不治の病で苦しむ愛おしいお嬢さんへのいたわりと不安が常に同居していました。
芸術に対する真摯な姿、ゆるぎない音楽性を追求する姿、またそれを後進の指導で厳しくも愛情を添えることを忘れずに伝える姿。そのすべてが先生のスタイルでした。

オーケストラを退団したその日。「燕尾服とはおさらば!」と長年着慣れていた燕尾服を脱ぎ捨てタートルネックの白いセーターでソロ活動を開始。その斬新でユニークな衣装と卓越した演奏技術、それに勝る音楽性とその豊かな表現力。どれをとっても非の打ちどころのない先生の演奏は多くのファンを魅了し、コントラバスの世界だけではなく音楽界を大きく変えていく存在となって行きました。
1970年代の話ですから、本当にコントラバスのソロコンサートがなかった時代です。それでもコントラバスの為の作品が多く残っていることを考えると、それぞれの時代にも名手が居たからに違いありません。古典時代にもロマン派時代にも多くのソロ作品や協奏曲が書き残されています。それを一般の聴衆が感動する作品として知らしめたのがルードビッヒ・シュトライヒャーと言えるでしょう。
1966年からウィーンフィルでの演奏だけでなく、ウィーン国立音大(通称)で教えるようになってからは世界中から生徒たちが集まってきました。演奏活動もさらに忙しくなり、ピアニストのノーマン・シェトラとのコンビで日本にも訪れ、オーケストラとの共演の他レコーディングも積極的に行いました。
私は個人的にシュトライヒャー先生と親しくさせてもらっていたおかげで、先生のご自宅にも度々お邪魔し、奥様お手製の美味しいパウンドケーキを頂いたり先生ご自身の演奏を「at Home」で本当にリラックスした表情で弾いてくださったことなど思い出がたくさんあります。また、来日の時には必ず我が家に立ち寄って、コントラバスの生徒さんたちへの熱心な指導も毎回行い、演奏も惜しみなくしてくれました。シューベルトの『鱒』全楽章を共演させていただいたことが大切な宝物となっています。

学校から帰ったときに見つけた先生に一目散で駆け寄って行った当時小3の縁先生との写真をご自身が大きく引き伸ばして手紙を付けて送ってくださったり(左下の写真は)私たちが訪問した際に予定より10分早く着いたので外で写真を撮りながら時間をつぶしていたら中から「待っていたよ。早く入って!」とご夫妻で出て来られたり、、、
晩年は「弾くべきコントラバスのソロ作品は全て弾いた。あとは自宅で歌曲を心に秘めてメロディーを奏でることが最後の愉しみだ」とシューマンの歌曲集をひとつひとつ取り上げては弾かれていました。
先生の名前は生き続け、その美しいメロディと音色は先生を語り継ぐ人たち(弟子たち)によって次世代に継承して行って欲しいと願っています。

先生が亡くなられる6年前に他界されたお嬢様のクリスタさんと共に眠る