「文教地区くにたち」

昭和25年から26年にかけて東京23区内に都市計画に於いて文化施設などを充実させ商業・工業分野に規制をする文教地区が10ヶ所ほど設けられました。主に大学などを中心に図書館や美術館など教育を守るために組まれた計画です。

国立市は東京から新宿を抜けてさらに西に走る中央線沿いに位置しています。谷保村から戦後国立町と名称が変わるころ、人口がうなぎ上りに増え続けました。それに乗じてお隣の立川市には基地があるため簡易宿泊所や飲食店が多くみられるようになり、国立にも拡張する兆しが見えたため、市民が一丸となって「一橋大学と国立音楽大学を中心とする学園都市としての文教地区」を申請し、昭和27年1月に建設省と東京都から晴れて「文教地区」の指定を受けることが出来ました。23区以外で文教地区を名乗れたのは唯一この国立だけでした。その後昭和33年を過ぎたころから全国でも文教地区が開設され、今は神戸市西宮市も含め全国で17ヶ所の都市で制定されています。

三角屋根の小さな駅舎は”くにたち”のシンボルで近年まで使われていましたが、駅ビル建設に伴い改札部分だけが残されたので、昔を知る人たちは旧駅舎を待ち合わせなどに利用しています。

春うららかな3月。卒業式で華やかな衣装に身を包む若者にエールを送りながら一橋大学の正門あたりから駅の写真、反対側の写真を撮ってみました。50年前と変わらない景色です。

駅南口に出ると、3方向にまっすぐ伸びる道があります。左は斜めに南東方面「旭通り」。中央はまっすぐ南に向かって谷保駅に繋がる「大学通り」。一橋大学が路の両側に建てられています。そして右は斜めに西南に向かう「富士見通り」。文字通り晴れた日は富士山が見える素敵な道です。

その富士見通に隣接する校舎が国立音楽大学付属中学高校で、立川校舎に移転する前はこの校舎が音楽大学として利用されていました。

2~3年でも様変わりする昨今の都市事情ですが、文教地区のおかげで娯楽施設もなく環境も変わりないため「50年前と同じように迷わず路地を曲がれる街」で、50年前の私も25年前の華音先生も安心して『音楽を学ぶ』ことが出来たことに感謝しました。

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