☆☆☆雄さんの昭和ひとりごと☆☆☆
8周目に入り、『あ』から改めてスタートします💞
一篇一篇の中に流れる言葉の温かみが、私たち読者に静かな感動と新しい発見、古き良き時代の思い出を蘇らせてくれます。
【雄さんの昭和ひとりごと】がこれからも多くの方の心に『ホッとするともしび』を灯して豊かな心で過ごせることを願います。
(あ‐8) 綾
宮崎県の山間部に「綾」という町があるそうです。大学教授で紀行作家でもあった福田宏年氏が1980(昭和55)年に、旅雑誌の編集部から「どこでもいいから誰も知らない土地に行って、その紀行文を書く」という依頼があったときに「行ってみよう」と思い立った場所が綾だったそうです。理由は、毎月購入している時刻表の巻頭地図から、ある月以降 “綾” という地名がバス路線図とともに抹消されていて、常々不思議に思っていたからです。「綾という土地は、消滅してしまったのか・・・?」
宮崎空港に降りて、タクシー乗り場の運転手にそれとなく「綾に行くバスはありますか?」と聞いたときに「綾など、何しに行くんですか?」と言われて、ますます心配になったそうです。しかし幸いにも綾は存在し、バスもターミナルからちゃんと出ていることが判ったので、バスターミナルまでそのタクシーに乗ったときも「でも、何も無いところですがねえ・・・」と何度も首を傾げられたそうです。着いてみると本当に何も無いところで、集落の真ん中に火の見櫓が立っているだけの全国どこにでもある田舎の風景だったそうです。その夜泊まった宿の部屋も、氏の学生時代の下宿部屋と同じ雰囲気で、それはそれで “ある意味、懐かしかった” そうです。(集英社「時刻表地図から消えた町」より)。
それから45年経った今でも綾町は鉄道も高速道路も国道も通っていない “何も無い町” のままですが、逆に「有機農業の町」「照葉樹林都市」などをスローガンにした町おこし成功例の町として知られるとともに、ユネスコのエコパーク(人間と生物圏計画による保護区)にも指定されて、自然の中での人間らしい生活を求める人たちが全国各地から移住してきて、賑わっているそうです。
ところで、綾町は古くは「阿陀能奈珂椰(あだのなかや)」と呼ばれ、それがいつしか略されて「阿椰(あや)」となり、のちに瑞祥地名の「綾(あや)」に変化したそうです。綺麗な模様を表す意味の「綾なす」や、杉の美林を表す「杉綾」、織物の「綾織」など美しいですね。
ところがこの「綾」という言葉ですが、なぜか北陸地方では生まれた子供に名前を付ける時に “まず「あや」はやめよう” と、取り決める夫婦が多いそうです(松本修「全国アホ・バカ分布考」太田出版1993年)。「あや」には “怪しい・謝る・誤る・過ち・危うい” など、負のイメージが強いからでしょうか?。