雄さんの昭和ひとりごと (う-8)

(う‐8) 有 耶

 「うや」です。昔、東北地方に「手長てなが足長あしなが」という旅人をとって食う怪物が出たそうです。その時、三本足のカラスが空の上から「有耶 有耶」と鳴いて旅人に危険を知らせたそうです。また、出ていない時には「無耶 無耶」と鳴いて安全を教えてくれたそうで、その話が「有耶無耶うやむやの関」伝説として今日こんにちまで残っているのです。しかし、肝心の場所は特定されておらず “有耶無耶の関跡” と称される古刹が東北地方には二か所伝わっていますが、何れも旅の難所である “峠” にあります。

 一つ目は山形と宮城の県境にある「笹谷ささや峠」で、蝦夷えみしの侵入を防ぐために9世紀頃に設置されたと伝わっています。

 二つ目は松尾芭蕉が “奥の細道” で歩いた山形と秋田の県境にある「三崎みさき峠」という所で、峠には文学碑があるそうです。

 しかし紀行作家の故宮脇俊三氏はひとり異説を唱えています。場所は山形と秋田の県境ですが「三崎峠」ではなく、鳥海山の溶岩が直接海に流れ落ちてできた崖沿いの海岸で「馬も通れない程の難所であり、私見をのべれば手長足長とは崖っぷちを行く人間を海中にさらい込む波のことであり、カラスの鳴き声で海の荒れぐあいを予知したのではないか」ということです。国鉄の特急「日本海」の車窓から岬を見下ろすたびにそう思い「場所が特定できず “有耶無耶” になっているのも面白い」とも書いています。

 ・・・ところで以下は私の考えですが、昔の “峠越え” がいかに大変だったかは このブログの(と‐7)で 主に旅人の体調管理を中心に書かせて戴きましたが “山賊や追剝おいはぎの出没” も 旅人には恐怖だったと思います。それが “手長足長伝説” になったのではないでしょうか。また、峠に “関所” が置かれていたということは、また違った意味での “難所” であったと思います。「通行手形」を持たない旅人は当然 “関所破り” をするわけですが、関所破りの取り締まりが “有る時” が「有耶」“無い時” が「無耶」で、その情報を “狼煙のろし” などで旅人に伝えてくれたのが三本足のカラス「八咫やたがらす」という人たちだったのではないでしょうか。

 いずれにしても、私はまだ東北地方を旅したことがないのでこの有耶無耶の関探しを含めて、いつの日か “奥の細道 駅弁めぐり” などの旅に出てみたいと思っています。