(え‐8) 絵 屋
「えや」です。以前このブログの(え‐4)で「絵師」を採り上げた時、日本の絵師は単なる画家ではなく 朝廷や幕府によって選り抜かれた格式高い “芸術家” だった、と書きました。表題の「絵屋」とは そんな絵師たちが室町時代から慶長年間にかけて、襖絵や屛風絵、大和絵や扇絵などの工芸的な絵画の制作や展示販売を行った工房 で、今で言う “ギャラリー” だったのです。奈良市の元林院町は昔、興福寺の仏画を描く絵師が多く住んでいたことから「絵屋町」と呼ばれていたそうです。
なお有名な絵屋としては、江戸時代の初期に京都にあった「俵屋」で、野々村宗達という絵師が興した工房でした。そうです、宗達は絵屋の屋号をとって「俵屋宗達」と呼ばれているのです。「蓮池水禽図」や「源氏物語関屋及び澪標図」 建仁寺に納めた「風神雷神図屛風」は国宝となっています。
では江戸時代中期から後期にかけて活躍した、テレビでお馴染みの「蔦屋重三郎」(蔦重) たちの制作工房も“絵屋” と呼ばれるのでしょうか。たしかに蔦重が、喜多川歌麿や葛飾北斎などの有名な絵師に「浮世絵」を描かせ、彫り師に「版木」を作らせ「摺り師」に刷らせた絵を展示販売したという行為は、絵屋そのものです。しかし何度も刷れる “版木” を自分が押さえているので、絵屋ではなくて「版元」と呼ばれているそうです。“ギャラリー” ではなく “出版社” なのですね。
ところで私は、京都市の建仁寺や 奈良市の 元・絵屋町や興福寺などを訪れてみたいと思っていますが、現在は外国人による“オーバー・ツーリズム” の影響で身動きが取れないので、残念ですがやめておきます。