「リューベックとバッハ 」

ドイツ北部にあるリューベックの街

この街にはリューベック音楽大学があり、特にピアノを学ぶ人が留学することで有名です。

小さな町ですがリューベックには作家のトーマス・マンが生まれ育った家ブッテンブロークハウスがあり、第二次世界大戦で表の壁だけが焼け残ったのですが、そこが資料館として開放されています。その隣にはドイツで3つ目に大きいとされるマリア教会が。

 教会の一番奥にメインオルガンがあり、 このオルガンは壁に取り付けてあるので、その下を歩くことができます。
 オルガンの横に、空襲の時に地面に落ち熔けた鐘がそのまま残されていて、戦争を知らない世代に語り続けています。
 オルガンの下の壁には、オルガンを弾く老人と青年が立っている姿を掘った石板があり、次のように刻まれています。
     1705  KAM
     JOH・SEB・BACH
     NACH LUEBECK UM DEN
     BERUEHMTEN DIETRICH
      BUXTEHUDE
      ZU BEHORCHEN

 「1705年、ヨハン・セバスチャン・バッハがあの有名なデイートリッヒ・ブクステフーデを聴くためにリューベックに来た」。
 20歳のバッハは、教会オルガニストをしていましたが、休暇を利用して憧れていたブクステフーデを訪ね演奏を聴きレッスンを受け、当初4週間の予定が16週間にも及ぶ滞在になったとも言われています。有名な「トッカータとフーガニ短調」はこの時に作曲されました。

小さな町に残る小さなエピソード。16週間のバッハのことを想う貴重な時間になりました。