雄さんの昭和ひとりごと (らー5b)

 

(ら‐5) ら抜き言葉

 以前このブログの(せ‐3)で ザ・フォーク・クルセダーズの「た抜きの歌」を採り上げました。「世界は二人のために」の歌詞から「た」の字を抜いて歌い「タヌキの唄」と洒落た楽しい歌でした。今回の「ら抜き言葉」はそれとは違い、私達が普段使っている国語の話です。

皆さんはテレビを見ていて「オヤッ」と思った事はありませんか?。例えば、人気テーマパークでインタビューを受けている人たちが「仕事を休んだけど来れて良かった!」と話している時に画面の下の字幕が「来られて良かった」になっていたり、人気ラーメン店の前で取材を受けている人が「長い時間並んだけど食べれて良かった!」と話している時、下の字幕が「食べられて良かった」に変えられていたりすることなどよくありますね。この「食べれて」や「来れて」が、いわゆる「ら抜き言葉」として国語的に間違った言葉遣いであるとされています。だからテレビの字幕では訂正されるのです。

「ら抜き言葉」は他にも「起きれる」「寝れる」「受けれる」など沢山あります。本来は「起きられる」「寝られる」「受けられる」なのです。しかし、ややこしいことに「乗れる」「釣れる」「登れる」などは「ら抜き言葉」ではなく本来の正しい日本語であるとされています。また、北陸や中部および北海道の一部には「ら抜き言葉」が日常の言葉として昔から使われている地方があると言います。

このことから、私は「ら抜き言葉」を正式な日本語として認めても良いのではないかと思っています。そうすれば「アメリカの大統領が日本に来られてお寿司を食べられた」の様に「来られた」や「食べられた」が「尊敬を表す言葉」であり、テーマパークに「来れた」や、ラーメンを「食べれた」は「可能を表す言葉」であると、はっきり区別できると思うのですが・・・。皆さんはいかがお思いですか?。